このところ人生について考える機会が多くなりました。というのも、様々なお客様と接してきて、色々なお話を伺い、また様々な人生を送られた方の思い出話。そして消えそうな命を懸命に生きる人のこれまでのエピソード。それはそれは考えずにはいられません。
さて、人の人生は平等なのでしょうか。幸福の尺度とはいったい何なのでしょうか。私の考えている幸福とは、その人にとっての幸福なのだろうか。それとも、やはりその人は私と同じような夢を見ながら、到達せずに幕を下ろそうとしているのだろうか。
知らない事が多すぎるこの世界で、ある人は別世界を見、ある人は地を這うような世界しか知らない。これから生まれてくる新しい命達は、どのような世界に生きるのか。今の私の価値観が次の世代にも通用するのか。「一生懸命生きる」とても良い言葉に聞こえます。
しかしそうでしょうか。今現在は、絶対的に決まった運命は無いと考えるに至りましたが、しかしながらある程度は決まっていると言わざるおえません。だとすると、一生懸命自分の人生のハンドルを切りまわす努力は時に運命に逆らい、望まぬ結果を生むこともあるでしょう。
私自身答えを探しているので、結論のようなものはありません。私は自分が幸せを感じる時に、身近な不幸を感じている人のことを考えてしまいます。私のこの幸福は、この幸福を両手を広げて受け取っていいのだろうかとも思います。しかし、心から私を心配しながらも不幸な状況にある人は、きっと私の幸福を喜んでくれるはずだとも感じるのです。そして私の幸福はその人の幸福へと形を変えて伝わるのです。伝わってほしいのです。
成功、名声、大きな財産はなくとも、安心できる場所、陽のあたる場所、約束の地がある人になりたいとも考えています。周囲を見渡してみましょう。御家族でもいいでしょう。街ゆく人でもいいでしょう。彼らは何を支えに生きているのか。きっと自分自身の本来求める幸福の姿を探すことになるでしょう。