本来ならこうなるべきであった。もしくは、本当はこの職業に就くはずではなかった。あの時、違う選択をしていれば…。などなど、誰しも一度は思う事ではないでしょうか。
かくいう私も、20代までは今の職業を想像すらしていませんでした。では何故、想像すらしていなかった職業に就いているのか。これはある種の副産物の結果なのです。結果として私は幸福な職業人生を歩いていると思っています。正直、ここまで来れるとも思っていませんでした。
さて、副産物とは、私の場合は父親の職業が影響しています。今の仕事に直接影響はしていませんが、進路に影響を与えてくれたのです。と言いますのも、本来であれば私は自営業だった父の後を継いで食品関連の会社を運営していた「はず」なのですが、その会社自体がなくなってしまったのです。
一見不幸に見えるこの事象も、いま振り返れば副作用として違った薬の効用があったとしか思えません。もちろん、その当時は大変でした。今後どうなることやらと、悲観にも暮れたものです。しかし、月日は流れ今このコラムを書いている私がいるのです。
話は変りますが、製薬に携わる仕事をされている方に聞いた話ですが、副産物といえる新薬も少なくない数あるそうです。副作用と言っても良いのかも知れませんが、この場合は良い効能が意図しなかった疾病の改善に効果が発見される事があるようです。そして、その副作用をより純粋化して新薬が誕生するのです。
本来の目的とはまったく違った出来事が、まったく違った新しい道を開いてくれる事もあるのです。このように、短期的な視点では思い通りにならなくとも、中期的な視点では良い結果に転換されている事も多く、これを人生の時々に照らして考えると、早計は損であることが分ります。つまり、どんな状況下であっても、時間的な長短はあれ自ずと良い結果に結び付けて行くことが可能であることが理解出来ます。
有名な話ですが、京セラ創業者である稲森和夫さんの言葉に、「開発に失敗したことは一度もありません。なぜなら成功するまで開発しているので、失敗したことがないのです。」という発言があります。初めてこの言葉を読んだ時、私は発想というものが成功を作るのだと、不思議と腑に落ちた感覚を覚えています。
副作用、副産物、意図しない結果、目的でなかった仕事、誤解による非難、等々私達を取り巻く生活環境はそうそう簡単ではありません。しかし、振り返った時に初めて気が付く幸運が、副作用のように裏側に隠れていると考えてはどうでしょうか。実際に、尊敬する諸先輩方から聞くお話には、喩えれば薬の副作用が良い方向に働いたような話が多いように思います。
苦労話は若い方には嫌われるものですが、希望や目標があるなら、苦労話はよい教科書になります。なぜなら、隠れた希望や目標の達成方法が語られているからです。一直線に伸びた成功の道はおそらく存在しないでしょう。本当に成功したいなら、失敗や苦労の裏側に隠れている副作用に目を向けるべきだと私は考えます。