名付けの緊張感

先日、御客様のお子さんが生まれ名づけの鑑定をしました。元気に産まれて本当に良かったと安堵すると共に、名付けの責任の大きさに緊張感が走ります。何故ならその子は生涯その名前を名のり、家族や友人からその名前で呼ばれ、何かにつけてその名前でサインし、人生という長い道のりをその名前と共に歩いて行くわけです。

皆さんもご自分の名前について御両親に尋ねたことはありませんか?「私の名前は誰が付けたの?」と、また年頃になり占い雑誌等を見て自分で画数計算して落ち込んだり喜んだり…。そんなシーンを想像すると益々緊張してきます。

実はこの御客様、本来別件での鑑定をさせて頂いたのですが、妊娠をされていたのでついでにという感じでご依頼頂いていたのです。性別も事前にわかっているとのことで、数件候補がほしいとの御要望だったのですが、私は「産まれるまでわかりません」と返答していました。

というのも、名前に生年月日時を考慮した材料を組み込むために、実際に産まれてみないことには何も分からないのです。その旨をお話し納得していただいたのですが、できれば私も事前に用意をしておきたいのが本音です。

しかし無事に産まれたとのご連絡を頂くまではこちらも何故かひやひやドキドキするものです。そして安堵したのも束の間、命名作業に集中しなくてはなりません。なにせ14日以内に名前を決定しなくてはなりません。しかも、私が決めても親御さんが気に入らなくては意味がありません。

そして、名前として使用できる漢字候補に先程書いた生年月日時を考慮して該当する漢字を洗い出すだけでもおそろしく手間と時間がかかります。そしてまたまたその漢字を組み合わせ、読みとイメージの組み立てを行い絞り込んでいきます。

そうこうしているうちに、その子が名前で呼ばれている姿を勝手に想像し候補を却下…。その挙句、妻には「その名前ダサイよ」といわれまた却下…。女性の産みの苦しみに比べれば大したことはありませんが、ようやく出来上がった名前を親御さんに気に入ってもらい何とか間に合いました。後は幸せを祈るだけです。負けないように、自由であるように、小さな体に願いを込めた作業でありました。